日本の木版印刷・木版画の歴史 -創成の飛鳥時代から室町時代-

はじめまして「木版印刷」です

木版画の始まり「印仏」

木版印刷が日本に伝わったのは飛鳥時代。中国大陸から仏教や製紙技術とともに伝来したと言われます。

日本の木版印刷は百済からの経文木版、木の板に文字を彫刻して墨一色だけで摺った「文字木版」に始まりました。

現存する印刷物の中で、年代が明確になっているものでは世界最古とされるのが、770年に法隆寺などに納められた仏教経典「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)」です。(※近年の研究で木版以外の印刷という説もあります。)

都が京に移った平安時代には法華経などの経典を大量に作り出すことで功徳を得ようと、経典を手で書き写すのではなく手摺りする「摺経供養」が流行し、木版による印刷が多く行われました。

平安後期になると末法思想が席巻すると、救いを求めて経典だけでなく仏の姿をも多く描くために「印仏(いんぶつ)」「摺仏(すりぼとけ)」が登場し、日本の木版印刷は絵画「木版画」としての一歩を踏み出しました。

木版印刷、「いざ産業」

鎌倉時代の版画・印刷

武士が台頭する鎌倉時代・室町時代、寺院によって一枚板に図案を彫刻して摺る「整版印刷」の技術を用いて経典や漢文学を複製した木版印刷物が盛んに生み出されました。

奈良の興福寺を中心に作られた「春日版」、和歌山高野山の「高野版」、京都の五山や鎌倉の一部の「五山版」などがあげられます。

これにより、木版印刷は「出版事業」という産業の形をとり、多くの書物を作ることで技術向上が進んで、日本の文字木版の技術は世界的にも高水準なものとなりました。

【豆知識】そのころ中国「明」では、彫りの効率化のため「印刷字体」の統一化が図られ「明朝体」が制定されました。現在無数に使われている「フォント」のはしりは木版印刷にあったのかも!

訪れた木版「動乱」の時代 木版による活版印刷の登場

木版印刷の歴史・活版印刷

京の都が焼け野原となる応仁の乱をきっかけに戦乱の世へと進み、群雄割拠の時代が訪れます。都に住む人々は棲家を失い、戦火を逃れるように散り散りに地方へと移り住んでいきました。そのため、都を中心に行われていた木版印刷の技術は、人の流れとともに全国へ広がることとなりました。

その後、キリスト教の日本での布教活動や、豊臣秀吉の広域出兵によって国外の印刷技法「活版印刷」が知られることになります。
活版印刷は文字や単語ごとに木や金属に形を刻んだ版「活字」を作り、組み合わせて版を成形して印刷します。
活字を並び替えて様々な文章を作ることができるので、従来の木版印刷で使う製版のように新しい文章ごとに版を新調する必要がなく、版作りの失敗のリスクを抑えることができます。

活版印刷の導入に一役買ったのが徳川家康です。教育改革のために、「伏見版(木製活字)」「駿府版」など多くの指導書を刊行しました。

そして木版印刷に馴染み深い京の都でも、琳派の始祖の1人である、本阿弥光悦らが仏教書以外ではじめて古典文学を中心とする「嵯峨本」を活版印刷で作るなど、木版印刷に替わる技術として活版印刷が増加し、印刷市場は初めての転換期を迎えることとなりました。

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