商業出版の活性化による市場拡大と製版印刷の発展

戦国の世を徳川家康が統一し、泰平の時代が訪れたことで文化の中心が町民に移行した江戸時代。初頭に京都で商業的な出版が行われはじめると、本を取り扱う「本屋」が誕生しました。瞬く間に市中に数多くの本屋が並び、続いて大阪に本屋が登場して上方で出版文化が育まれていきました。
寛永には江戸でも本屋が開業され、のちに美人画の名手喜多川歌麿や、役者絵の奇才東洲斎写楽などの錦絵を出版して一大版元となる蔦屋重三郎も吉原に書店を構えました。
庶民の間では読み書きを教える「寺子屋」が普及し、本を読むものが増えたことで需要も上がり、本を売り歩く行商や「貸本屋」「古本屋」によってさらに広がりを見せました。
三大都市を中心に出版物の流通が盛んに行われると、それまでは寺院版など仏教書が主流だった市場は、文字だけではない挿絵入りの「絵草紙」や「滑稽本」、現在の新聞に当たる「瓦版」などの民衆の読み物、文学書や医学書など専門的な書物まで様々な内容に展開し、整版による型にとらわない表現を可能にする木版印刷が再び脚光を浴びることになりました。
一方、戦国末期から取り入れられつつあった活版印刷は、「漢字・ひらがな・カタカナ」という日本語独特の三つの文字体系と広範な文字数、高い製作コストのために厳しい状況に置かれました。さらに寛永年間から幕府による鎖国政策で外来文化が禁止され、定着するに至ることなく表舞台から姿を消していきました。
ゴッホもびっくり「カラー印刷」として花開き「世界」へ
17世紀中頃 -挿絵から絵画へ-
木版印刷の技術は時代とともに飛躍的に向上し、それまで本の挿絵として描かれてきた木版摺りの絵は、「見返り美人」で有名な浮世絵の祖と言われる絵師「菱川師宣」によって「一枚絵」として独立を果たしました。
18世紀初頭 -単色摺り+手彩色-
輪郭線を墨一色で摺ったモノクロの「墨摺絵」に始まり、墨絵に丹の絵具で色を筆で着色した「丹絵」や紅を使った「紅絵」、さらに絵具に膠や漆を混ぜた「漆絵」などの手彩色の絵が作られました。
18世紀中頃 -墨摺り+色板-
輪郭だけでなく、一部の彩色部分を製版した「色版」を用いる「紅摺絵」が表れました。ここから複数の色版を重ねて摺る「多色摺り」の技法が発展しました。18世紀後半 -錦絵(多色摺り木版画)-
浮世絵師「鈴木春信」が多色摺りの完成形となる「錦絵」で描いた作品が流行し、一気に木版画の表現性が花開きました。絵だけでなく色鮮やかなメンコやカルタ、花札などの娯楽品から、包装紙に至るまで多種多様な意匠の印刷が文化として栄えました。
伝統木版画技法の確立
大量の印刷物を限られた時間と費用で生産するために、できるだけ無駄をそぎ落とし、表現方法をシンプルにすることで浮世絵木版画独特の構図の妙や色彩表現が生まれました。さらに制作工程を分けて特化させ、下絵を描く「絵師」、版を彫る「彫師」、色を摺る「摺師」、それぞれ専門職として作業する三者分業制印刷が確立しました。
一般に知られる「葛飾北斎」や「喜多川歌麿」は絵師に当たり、大手版元のお抱えや独立して活動し、世に名を広めました。
素材や色彩、表現全てが独自性に富んだ日本の木版多色カラー印刷は、当時世界最高峰の技法であり、のちにゴッホをはじめとする多くの芸術家たちに影響を与え、世界中を驚愕させました。
【豆知識】世界に日本の高度な木版印刷技術が知られるきっかけになったのは、印刷に失敗した木版画を陶器や磁器などの他の輸出品の緩衝材として海を渡ったからだとか。
多色摺り浮世絵木版画『富嶽三十六景神奈川沖浪裏』を摺る(※音が出ます)
版木の角と下部に作られた「見当(けんとう)」と呼ばれる目印に和紙を合わせてずれないように色を重ねていく。
- 第一版:輪郭線
- 第二版:船の地色
- 第三版:船の陰
- 第四版:波の先端
- 第五版:波の内側・富士山(淡)
- 第六版:波の陰・富士山(濃)
- 第七版:下部の空(ぼかし)
- 第八版:上部の空
独自の技法が次々と「木版画ブーム」到来!

天下のお膝元「江戸」では、現在の写真やポスターのような役割をはたしていた「浮世絵」が爆発的なヒットをあげ、版元(出版社)は競うように木版画による浮世絵「錦絵」を作りだし、「江戸版画」は大きく成長しました。
しっかりとした輪郭線が描かれ、色の組み合わせで多色を生み出し、陰がない平面的な表現が特徴です。
人気の歌舞伎役者を描いた「役者絵」、山河や町並みなど美しい風景を描いた「名所絵」、評判の麗人や遊女を描いた「美人画」など大衆的な作品が次々と発表され、有名絵師の新作が出るたびに話題となり民衆はこぞって錦絵を手にしました。特に役者絵や美人画は衣装や持ち物に当時の流行が表れており、情報に敏感な江戸っ子から絶大な人気を得ました。

日本の木版画発祥の地「京の都」では、平安時代に根付いた木版印刷技術と、優美な宮廷文化や伝統芸能が融合した「京版画」となり、作品は工芸士を介して舞扇子や料紙(薄紙便箋)、絵巻物など調度品や美術品として宮中や文化人に寵愛されました。
贅を極めた作風が特徴で、日本画に見られる濃淡や色彩を再現し、まるで絵筆で書いたような繊細な表現が用いられます。様々な京好みの手法を用いて、他にはない独特の作風を磨きました。
一枚の木版画を作るために何十、何百もの色を重ねるため、絵師・彫師・摺師いずれも技巧を極めた職人が育ちました。また、貝殻の粒子を練った白い色が特徴の「胡粉(ごふん)」や、ガラス質の岩石を粉末にして顔料と混ぜて光沢を持たせる「雲母(キラ)」など、上質な絵具が使われました。

さらに地方でも独自の表現・印刷対象物を用いた「地方版画」が形作られました。
上方(大阪・京都)で生まれた舞台絵を中心に力強い線とリアルな表現が特徴の「上方浮世絵」。
京都発祥の、簡略化した描写とコミカルな動きや表情が人気を博した大衆戯画の原点「鳥羽絵」。
幕末から明治にかけて、異国情緒漂う風景・風俗を賑々しく描いた「横浜絵」・「長崎絵」。
旅のみやげやお守りとして東海道の名物になった「大津絵」や、薬売りがおまけとして配り歩いた「富山絵」。
その他にも「風刺画」や「遊び絵」を題材に大衆に浸透し、全国的に活気が満ちた革命的とも言える発展を遂げました。
江戸末期になると、開国によって海外の技法や絵具などの素材が取り入れられ、木版画表現の幅はさらに大きく進化をとげ、どんどんと広がりをみせるのでした。
【豆知識】「浮世絵」は木版印刷で描かれた画のことだけではないんです!「浮世」=「当時の風俗」、その時代の生活や文化などを題材に描いたものは、掛け軸や屛風、手描きの画、チラシ、全部浮世絵なんです。そして浮世絵の始まりは、江戸初期。岩佐又兵衛が都の町並みと人々の暮らしを描いた屏風絵「洛中洛外図屏風」(舟木本)だとか。実は浮世絵は江戸ではなく京都で生まれました。